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「カラダという動物を飼っている]という発想
私たちの生活は、車や携帯電話、パソコン、エアコン、炊飯器、洗濯機など、たくさんの機械に囲まれています。それらの機能も年々向上し、いろいろな設定やオプションがあって、かゆいところに手が届くようになってきました。
さらに、機械だけでなく、ネット通販やさまざまな宅配サービスなどで、より便利で快適な生活環境がととのい、それも普通になってきています。
そうすると、自分の思い通りに早く、効率的、合理的にものごとが進んでいくのが当たり前、という感覚になりやすく、それがうまくいかないと、ついイライラして不満を感じることが多くなります。
これと同じようなことを自分の体についても感じることはないでしょうか?
自分の体は手足を自由に動かせ、好きなものを見て、聞いて、食べて、とできるので、つい「体は自分の思い通りに動くはずだ」と思ってしまいます。
しかし、爪や髪の毛が伸びるのを止めることはできませんし、おいしいものを食べても糖分や脂肪は吸収しないでね、と腸にお願いするわけにもいきません。
特に、疲れをとったり、痛みや熱がひいていくのを待つ間はじれったく、どうしてもっと早く回復しないのかなとイライラしたり、もううんざりだと落込んでしまうことも少なくありません。
機械のように部品交換やバージョンアップができればどんなにいいだろうと思いますが、ここはそういうわけにはいきません。
そこで、気休めかもしれませんが、自分の「カラダ」を一匹の動物と考え、それを一生をかけて飼い続けていると考えてみるのはどうでしょう?
家で飼っているペットに理屈を並べてお説教する人はそう多くないはずです。寝てばかりいるペットに「いつまで寝ているの、さっさとおきなさい!」とはやりませんし、「そうか、そうか、眠いんだね」と頭をなでて寝顔にこちらも癒されるのではないでしょうか?
誰でも自分のペットのわがままなら、むしろ可愛いものだと我慢ができます。それが一生を共にするペットとなれば、もっといたわり、可愛がってもおかしくはありません。
そんな目で自分の「カラダ」を見てみると、もう少し優しいまなざしになっていくのではないでしょうか?
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