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不思議なここちよさ

2021/07/08
その喫茶店は昔から家の近くにあったのですが、まったく立ち寄ることなくずっと過ごしてきました。「地元のものほどどこか軽く見てしまう」という影響もあったと思いますし、それほどお客さんが入っているようには見えなかったので、とりたてて魅力を感じなかったということもあったと思います。


実際、お客さんは少なくて、タウン紙などに掲載されるような人気店ではなかったのが、この新型コロナのご時勢ではかえって「ここなら多少は安全かな?」と思わせてくれました。


玄関先にコーヒーの木が植えてあって、コーヒー豆も販売している専門店の割には、朝早くからモーニングもやっていたので、非日常を味わおうと、定休日の朝に行ってみたのが始まりです。


飲み物のバリエーションだけでなく、案外食べ物のメニューも多く、「次はこれを注文してみようかな」という楽しみもあって何度か通っているうちに、お客さんの顔ぶれがほとんど変わらないことに気づきました。


一人客がほとんどで、これも新型コロナの影響下、皆さん静かに過ごしています。お店にはジャズが流れ、マスターと話をしているのはせいぜい一人くらい。感染対策もちゃんとしていたので、気分転換にも立ち寄ることが増えて、いつのまにか私も「常連さん」になっていました。


とはいっても、いつも見るほかの常連さんとは、今も言葉を交わしたことはありません。食べ物や飲み物をおいしく頂いて、流れるジャズを聴きながら、マスターと常連さんが話している話題をちょっと小耳に挟むという時間が、妙に心を安らがせてくれるのです。


勘定を済ませてお店を出るときに、「ありがとうございました」「お気をつけて」と声をかけて見送ってくれるのも悪い気はせず、どこか「不思議なここちよさ」を感じていました。


当然、お腹が満たされる「ここちよさ」もありますし、好きな音楽を聴いている「ここちよさ」もありますが、どうもそれだけではなさそうだと思いをめぐらせて、気づいたのは「一人なのに、一人じゃない」ということです。


つまり、「誰にも気を使わずに」飲食を楽しみながらも、いつもの顔ぶればかりの中にいるという「安心感がある」という不思議な組み合わせなのです。


思い起こせば、まだ小さいころに、家のどこかにじいちゃんかばあちゃんがいて、物音はするけれど何か言ってくるわけでもないという中で、気ままに過ごしていた頃に似ているのかもしれません。


まだまだ、人と会ったり、遠出をしたりが気軽にできない状況の中、こうした喫茶店のような居場所で、心を休ませて見るのもいいかもしれませんね。


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