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好き嫌いは理屈じゃない!

2018/05/16
私は小学校に上がる前から、食べ物の好き嫌いが激しく、シイタケ、ピーマン、キャベツの硬いところなど、様々なものが食べられませんでした。


しかし、小学校に入ると、当時は給食指導が厳しかったせいか、野菜類はすぐに食べられるようになりましたが、肉だけはどうしても食べられず、居残りをさせられた苦い思い出があります。


とにかく、この「肉嫌い」は筋金入りで、献立を見なくても、午前中に漂ってくる給食の匂いをかぐだけで、ひき肉であろうが、カレーであろうが、「肉が入っているな」と敏感にわかったものです。


それに、すばやく口の中に入れて飲み込もうとしても、入れた瞬間に胃が痙攣して吐き出してしまうのですから手に負えません。


よく、「肉の何が嫌なの?」と聞かれましたが、匂いなのか、味なのか、うまく説明もできず、「理屈じゃなく、とにかくダメなんだよね」というしかありませんでした。


これはもう「一生食べられないだろうな」と高校を卒業する頃にはほとんどあきらめていました。


ところが、大学で北海道に行き、クラスコンパでジンギスカンを食べてみたところ、何と!食べられたのです!


ラム肉という臭みの強い肉だったせいか、タレの味付けが濃かったせいか、はたまたようやく舌が大人になってきたせいなのでしょうか。


これもまた、どういう理屈かさっぱりわからないのに食べられるようになり。ラム肉が食べられると、今度はドミノ倒しのように豚も牛も鳥も平気になりました。挙句の果てには「どうしてこんなにうまいものが食べられなかったんだろう?」と言い出す始末です。


つくづく「好き嫌いというのは理屈じゃない!」ということを実感した次第です。


さて、「好き嫌いは理屈じゃない!」というのは食べ物に限らず、人間関係においても言えることではないでしょうか?


確かに、「あの人のココが好きなの」とか「コレさえなければいいのに」といった、一見理屈がつきそうなところもないわけではありません。


けれど、そのポイントだけかと言われると、微妙なものが残り、やはり言葉では言い表せないものがはみ出してしまうのではないでしょうか?


つまり、好き嫌いは、なかなかポイントで押さえられない「全体的なもの」であり、そして人にうまく伝えられない「主観的なもの」と言えそうです。


食べ物の好き嫌いであれば「ああ、そうなの」ですみますが、人間関係となると、つい「どうして嫌われるのだろう?」あるいは「あの人が苦手なのはなぜだろう?」と悩んでしまいます。


でも、私の「肉嫌い」のように、好き嫌いの原点に立ち返ってみれば、嫌っている本人でさえ「どうして嫌いなのかよくわからない」わけです。


それに、時がたつうちに、これもどういうわけかわからないけれど、嫌いではなくなるということもあるわけですから、ここは少し力を抜いて行きましょう。


好き嫌いそのものを解決しようとすると袋小路に入って、無駄にエネルギーを使い果たしてしまいます。


少し距離をおく方がラクなのか、なるべく気にしないで今までどおりにつきあっていく方がラクなのか、自分が一番ラクに過ごせるスタンスを探していきましょう。


何しろ、この好き嫌いが起こっているのは少なくとも「私のせいではない!」のですから。


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